X:\archives\2008\11

20081115

投稿者: entasan @ 20:03

人間と空間との関係を一つのシステムとして捉え、行動という一つの現象を媒介として様々な空間の調査を行い、人間の行動と空間の構造との関係を分析することにより、帰納的に人間の行動特性をモデルとして得る中村良三(1971年「人間−空間系の研究」)の研究、また、得られた行動モデルを演繹的に利用して行動シミュレーションを行い、空間や人間の状態や心理を予測あるいは評価するといった渡辺仁史の研究(1975年「建築計画における行動シミュレーションに関する研究」)に本研究は続くものである。本節では、これまでの建築計画における人間行動研究の流れの中に本研究がどのように位置づけられ、それが今後の建築や都市の計画にどのように貢献できるのかについて述べる。

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建築空間をはじめとして、人を取り巻くものの総称としての「環境」における様々な問題に対して、「人間」を一つの評価軸として扱う研究の流れは、2008年の現在においても変わらずに存在している。特に現代では、現代病としてのストレスの問題、少子化による労働力人口の不足の問題、外国籍労働者らとのコミュニケーションの問題、多様化する労働形態、など、人間の内なる感情や他者との関係性における問題が噴出しており、「人間」を中心として世の中の様々な事象を評価しなければならない場面がより一層増えているように思われる。このような状況を鑑みると、人間の行動を空間との関係の結果としてのアウトプットとして捉えるような人間を中心として見る空間評価の仕方は、時代の先を行っていたというよりもむしろ普遍性を持った考え方だと言えよう。

建築計画分野において、行動調査によって帰納的に得られた行動モデルを演繹的に用いて行動シミュレーションを行うといった手法については、先述したように中村と渡辺の研究によって体系づけられ、それ以後は早稲田大学渡辺仁史研究室における研究成果によって強化・補足されてきた。

渡辺の学位論文(1975年)において今後の課題として提案されている8項目のうち、「1. 調査例の増加とデータの集積」「3. モデルの適合性の検討と改訂」については、研究室における研究では駅や海水浴場、空港、スキー場などさまざまな都市空間での調査が実施されており、その都度新たなモデルの提案が試みられている。また研究室以外の箇所での取り組みも多く見られ、日本全体から見た研究者人口の増加と、実際の建築計画における調査需要の増加に伴ってさまざまな空間での調査研究が報告されている。「2. 状態に関する記述の仕方の検討」については、佐野友紀(1999年)や高柳英明(2003年)らによって行動や状態の可視化表現手法の研究が行われており、いくつかのシミュレーション方法の提案とともに成果があげられている。「4. 設計者が扱いやすいシミュレーションの方法や言語の開発」「5. オンラインによる利用可能なシステム」については、木村謙らによって行われているCADソフトと連動した行動シミュレータの研究開発によって成果があげられており、最新の取り組みではインターネットブラウザー上で稼働するアプリケーションとしても開発が進められている。「6. 平面図形のコンピュータ処理」については、渡辺や山田学らによってCADソフトの開発が推進され、その後のソフトウェア開発関連各社の努力により、現代の設計業務はCADを中心としたものへと変貌していった。「7. 研究者層の拡大と情報交換の場の提供」については、日本建築学会における関連分野の研究者数の増大をみれば達成できたと言えよう。パーソナルコンピューティング機器の成長も近年著しく、シミュレーションを行うためのコンピュータスペックはすでにほぼ問題にならなくなってきている。「8. コンピュータプログラム、行動データの共同利用システムの確立」については、インターネットが普及した現代においては各方面で情報公開が行われてはいるが、現時点では満足な成果は得られていない。

以上で述べたように、人間の行動モデルを用いて行動シミュレーションを行うといった一連の方法論は、建築を計画する段階において計画以後の状態を予測し、これに基づいて計画案の再検討を行うことを可能にするというような、新しい建築計画のパラダイムを切り開いた点において優れた成果を挙げている。それまでは設計者の経験と直感(時としてそれはエゴイズム)によって決定されていた計画案を、行動シミュレーションという科学的かつ客観的な手法によって事前に評価することで、計画案に対する正当性を担保することが可能になった。

しかしながら、これまでの手法における問題点について、以下に挙げる3つの点を提起したい。

第1に、行動モデル化のために膨大な人的・金銭的な調査コストがかかるため、ある特定の空間に特化した行動モデルを用意したり、精緻なモデルにしたりするためのハードルが高く、これを解決するために種々の情報化手法を用いることが望まれているという点が挙げられる。これまでの行動調査手法は、調査員による調査対象者の追跡調査や、ビデオ撮影画像の解析による手法がよく用いられてきたが、これらは最終的には人的な手法に頼らざるを得ず、多大な時間をこれに割く必要があるため、短期における調査はともかく、長期にわたって断続的にデータ収集を継続すると言うことはほぼ不可能であった。このことはつまり、現状の手法ではある一般的な行動モデルの作成は可能であったとしても、よりミクロな変化への対応や、中長期のデータ分析に基づくモデルの精緻化と更新はできないということである。

第2に、行動シミュレーションを計画段階でのみ行うだけでは、建築以後の運用段階においてその成果を応用することができず、計画以後の様々な場面でシミュレーションを活用することまでを踏まえたシステム体系にすることが望まれる。このためには、事前の調査によって得た行動モデルを随時動かせば良いというわけではなく、シミュレーションのためのパラメータを現実に今起こっている状態の中から抽出する必要があり、これによってその時々の状態に即した、ライブなシミュレーションを行うことが可能になる。そのためには基礎的なモデル作りのための調査研究段階においてだけではなく、建築施設の運用中にも利用可能な行動データ収集のための情報化手段があらかじめ空間内に用意されていなければならない。

第3に、これまでに挙げた2点を踏まえた上で、調査からシミュレーションまでのこの新しいシステム体系を、計画以後の各場面で空間を様々に変化させるための手法として用いることを提案したい。これは、昨今の建築計画(特に文化的施設の計画)において、計画段階においていわゆる建築プログラムを考慮して計画するものの、ガチガチに仕様を決めてしまうのではなく、プログラム的にも空間的にもある程度自由度を残して計画を行い、実際に運用する段階にその自由度の範囲でプログラムを変化させるということが行われている。また、住空間においては一室型居住空間が見直されてきており、しつらえや簡易な建具によって空間を自由に区切るような住宅やオフィスが若齢層を中心に評判が高い。このような自由度の高い可変的な空間では、事前のシミュレーションだけでは現象の予測をフォローできない。あるいは、空間自体の変化に対する自由度がない場合であっても、そこを利用する人間自体が経年変化することでシミュレーション自体のパラメータが変化することも当然起こりえる。このような場合も、計画段階でのシミュレーションだけではフォローできない。

以上のような点について、これらの問題を克服し、行動のモデル化と行動シミュレーションという一連の方法論を今後の社会の中でより発展的に活用していくために、以下にあげる3つの提案を行う。

第1に、これまで人の手によって行われていた調査や分析といった作業を、さまざまな情報通信機器を応用することで自動化し、行動データを取得するための人的なコストを低減させること。

第2に、建築の運用最中においても継続的に施設利用者の行動や状態を捉え続け、適時的に観測される行動データに基づいたリアルタイムなシミュレーションを行うための一貫したシステム作りを行うこと。

第3に、第2点目に挙げたシステムを、空間を動的に変更してゆくための理由を客観化するための道具として活用すること。

本論文の目的は、ここに挙げた3項目の実施にある。そして、これらを統合的に行うシステムを、「行動モデル」「行動シミュレーション」にならい、「行動モニタリング」を呼ぶこととする。そしてこれは第1章第1節で述べたように、アンビエント・コンピューティングに向かう社会のなかでも確実に必要な技術になるものと考えている。

以上のように、社会背景的な流れによる要請と、研究手法の発展的な必要性とから、本研究の必要性が位置づけられる。

20081114

投稿者: entasan @ 20:01

近年、MEMSやNEMSと呼ばれる微細な機械技術に対して政策的な投資と技術革新が行われており、これらの機器を応用して、温度や湿度、加速度、明度、風流量、音声、におい、味といった情報 ―五感情報― をセンシングし、数値化することが可能となった。もちろん、センシング技術自体は新しいものではない。身近な例では、自動ドアの開閉やトイレの水洗スイッチ、GPSを活用したカーナビゲーション、赤外線を利用した防犯ライト、あるいは、音波を用いた魚群探知やレーダーを用いた索敵技術などもこれに該当する。

近年、とりわけセンシングが取りざたされる理由については、大きく二つの理由があるものと考えている。一つは、ロボット産業をはじめとして、建築空間も含めた様々なものに対するロボティクス化の需要がセンシング技術の需要を押し上げていると考えられる。「ロボティクス(Robotics:ロボット工学)化」とは、そもそもは単純にロボットに関する関連工学分野のことを指し示す総称であったが、現在では「アクチュエーション(動作)」、「知能(人工知能)」、「知覚・認知」、「制御」の大きく4つの分野に大別でき、センシングはこの「知覚・認知」のために必要な要素技術となっている。つまり、手指の挙動や行動判断のために外的環境の様々な情報を利用するため、センシング技術が不可欠となる。

いうまでもなく、ロボティクスはいわゆるロボットのためだけの工学ではなくなってきている。家電製品や自動車、あるいはすでに建築空間でさえも、それを取り巻く環境から情報を得るために、人間の「五感」を模したセンサー機器を利用している。今この空間が暑いのか寒いのかを知るために温度センサーを使う、というようなことである。光や音、温度や湿度をセンシングする技術は古くからあったが、においや味といったものをセンシングする技術は現時点ではまだ開発途上にあるようだ。だがこれらの技術もかなり実用段階に近いものとなってきている。人間の五感を完全とはいかないまでも、かなりの部分まで模倣することが出来ていると考えて良いだろう。

身近なもので現在もっともロボティクス化が進んでいるものといえば、それはおそらく自動車だろう。もっとも機械工学の応用産業として自動車産業があり、この分野でロボティクス化が進むことに疑問の余地はない。エンジンの回転制御、効率的な燃費のための運転制御、カーナビゲーション、エアバッグ制御、衝突センサー、空調制御、現在は試験途中にあるITS(高度道路交通システム)などと枚挙に暇がない。自動車の中も一つの空間と考えれば、ここがもっともロボティクス化の進んだ「空間」だといって良いのかも知れない。なお、空間のロボティクス化については、建築分野では「空間知能化」あるいは「空間生命化」などといった文脈で進められている。

センシングが注目されているもう一つ理由は、マンマシンインターフェースがアンビエント化(環境への内在化・潜在化)する流れの中で、生活空間の様々な場面で人間の挙動や状態をセンシングすることが求められるようになってきていることが挙げられる。いわゆる、直感的なインターフェース、と呼ばれるようなものがおよそこれに当たる。たとえば昨今では、携帯型音楽プレーヤの代名詞となった「iPod」や、2006年に発売された任天堂のゲーム機「Wii」に代表されるように、タッチセンサーや加速度センサーを用いたコントロールシステムをもつ機器が数多く登場している。実験的な取り組みとしては、身振りや手振りによって空調や照明などをコントロールするようなものである。

先にも例として挙げたが、建築空間におけるセンシングというと、自動ドアや赤外線感知による照明スイッチなどが挙げられる。歩行や立ち止まり、通過といった人間の動作をセンシングし、これを制御に使うといった意味では、これらもユーザーインターフェースがアンビエント化された空間のひとつといっていいだろう。ただし、現代的な意味での「アンビエント化」とは、もう少し高度に情報化されたものが想定されている。その背景にあるのは、「ユビキタス・コンピューティング」と呼ばれる社会イメージへの反動があるのではないかと考えられる。

20世紀の終わりに、日本では「u-Japan構想」と呼ばれたユビキタス・コンピューティング化への流れがあった。「ユビキタス」とはラテン語で「いつでも、どこでも」を意味するUbiqueに語源を持ち、英語で「神は遍在する」を意味するUbiquitousに由来している。ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)に在籍していたマーク・ワイザー(1952-1999)が1991年に論文「The Computer for the 21st Century」の中で提唱した概念である。日本では坂村健(1951-)が1980年代に同じようなコンピューティングコンセプトを発表し、それ以降、TRONプロジェクトを進める中で行われたいくつかの実証実験の中で具現化されている。日本において、ユビキタス・コンピューティングの社会イメージは坂村が提唱しているTRONプロジェクトのものが標準となっているように思われる。

ユビキタス・コンピューティングとは、環境内に存在する様々なものがコンピュータを持ち、それらが互いに通信しあって一つの巨大な情報処理システムを形成している、というイメージである。坂村の提唱しているTRONプロジェクトにおいては、「ユビキタスコミュニケータ」を情報環境とのインターフェースに用いることが前提となっているといっていい。ユビキタスコミュニケータは無線ネットワーク機能を持ち、13.56MHz帯と2.45GHz帯のRFIDタグを読み取ることができる。その他にもBluetoothや赤外線通信、ZigBee、二次元バーコードなどにも対応している。確かに、現時点でこれだけの通信規格に対応していれば、情報インターフェース機器として優秀であることは間違いない。これを用いて上野や銀座で行われた、「自立移動支援プロジェクト」などをはじめとしたいくつかの実証実験は、社会にユビキタス・コンピューティングのイメージを広く啓蒙する一助となったのは間違いない。

確かに、21世紀初頭において、坂村の牽引したユビキタス・コンピューティングの概念が一世を風靡したことは間違いない。しかしながら、ユビキタス社会=人間が機械を使いこなさなければならない社会、というイメージ(と、いまひとつウケの悪い洗練されていないデザインと、いくつかの政治的な理由)によって一般人には馴染めず、産業界からも一歩引かれているというのが客観的な印象である。特にTRONプロジェクトに参加していない企業からの(あるいは参加している企業からも)反感があるのは、筆者がいくつかの研究プロジェクトの中で実際に見聞きした事実である。

ともあれ、このようなユビキタス・コンピューティング社会というビジョンの、しかも反省にも近い立場から「アンビエント」というビジョンが出てきたといっても過言ではない。人間の自然な動作や振る舞いをそのままコンピュータの制御に用いるというコンピューティングのビジョンは、常に新しいものに更新されていくコンピュータの使い方を覚えなければならないという強迫観念から、われわれを解放してくれると思わせるのかもしれない。それが本当かどうかはともかく、人との親和性を持ったコンピューティングビジョンとして受け入れられている。これからしばらくはこの「アンビエント・コンピューティング」が次世代コンピューティングビジョンのイニシアチブを取っていくのではないかと考えている。

アンビエント・コンピューティングは、先にも述べたようにセンシングが基盤にある。しかしながら、それが「自動ドア」と異なるのは、ユビキタスにネットワーク化された情報通信インフラに基づき、感知したデータをデータサーバで収集・管理する点であろう。また、得られたデータからは行動の特徴や環境状態の遷移が高度にマイニングされ、予測(シミュレーション)や機械の制御(フィードバック/フィードフォワード)に利用される。こういったアンビエントな情報技術によって高度にサポートされる環境にある人間は、それでも行為自体は普段の活動とさして変わりはないので、サポートされていることにさえ気がつかない、というのがアンビエント・コンピューティングの理想であろう。

20世紀末頃から今日に至るまで、世界はこれまでにないほど高度に情報化が進み、いわゆる情報弱者をうみ出した。確かにインターネットをブラウジングするためには、相応の金額のコンピュータと通信料を支払わなければならず、その上に小難しい操作方法を覚えねばならないので、こどもや高齢者を中心に情報格差を生み出した。もっとも原因はこれだけではなく、情報を探索する能力やノウハウの差にも原因があったに違いない。しかし、アンビエント・コンピューティングが目指す未来は、情報獲得のために主体的に動くといったような世界観とは異なり、人間が知らず知らずのうちに情報環境によって強化されるような世界観である。

ここで一つ例を挙げてみよう。リッツ・カールトンというホテルがある。東京には2007年に東京ミッドタウンの開業と同時にオープンした、世界的にも極めて高水準な顧客サービスを提供すること(と、高額な対価を請求されることで)で有名な、ラグジュアリー・ホテルである。有名な伝説によると、リッツ・カールトン・ニューヨークのドアマンは、馴染みの顧客だけではなく、初めて来館する顧客に対しても名前を呼んで応対することができるといわれている。もっとも、これは事前の入念な顧客情報のチェックと、長年培われた人間観察眼とのたまものであるに違いないが、来館する顧客はこのようなサービスに感動を覚えるのだという。リッツ・カールトンの信条は、ホテル業界の中でも極めてキメの細かなサービス精神に基づいて、顧客を(満足ではなく)「感動」させることにあるのだという。人を感動させることができるサービスこそが「ホスピタリティ」の高いサービスであると信じ、常にその実践のために動いている。しかし考えてみれば、このようなサービスも人間の手によって供されることにこそ感動の源泉があるのだろう。なぜならば、たとえばホテルのドアマンではなく、壁面にプロジェクションされるドアマンのアバターに「○○さん、ようこそいらっしゃいました」と言われても、コンピュータだからできて当たり前だと思ってしまい、場合によっては声もかけずに通りすぎていってしまうだろう。これではホスピタリティの高いサービスにはいたらない。

アンビエント・コンピューティングが目指すのは、アバターによるものではなく、ドアマンによるものであるに違いない。誰も彼もがリッツ・カールトン・ニューヨークのドアマンにはなれないけれども、同じような水準のサービスを提供したいと思うだろう。このとき、十分にアンビエント・コンピューティング環境が整っていれば、顧客の乗った車がホテルの車寄せに近づいてきたときにはそのナンバーから顧客情報がドアマンに伝達され、昨日配属されたばかりのドアマンであったとしても「○○さん、お待ちしておりました」とにこやかに迎えることができるだろう。さらには、顧客がフロントでチェックを済ませている間に、従業員全員に情報伝達が行き渡り、部屋の調度や環境は顧客好みに整えられているに違いない。

このようなビジョンを実現するためには、まずは現象をきちんと捉えるためのセンシング技術が高度に実現できていなければならず、その上で何が起こっているのかを予知するためのマイニング技術が整えられていなければならない。ここではセンシングとマイニングの両方をあわせて「モニタリング」と定義する。モニタリングという言葉は、それ自体が本来に「監視」という意味を持っているが、ここではその言葉上の意味とは別に、技術的な基盤の上に成り立っているコンピューティング社会像を指すものである。

社会は間違いなく「モニタリング社会」に向かいつつある。これまで述べてきたように、社会が単にアンビエント・コンピューティングに向かっていると言うことだけではなく、プレ・アンビエントな社会(つまり現在の社会)では様々なサービスが個人に特化されたアウトプットを提供することに心を砕いてきたところに端を発している。Amazon.comで買い物をする度につい衝動買いしてしまいそうになる商品を勧められてしまうのも、ウェブをブラウジングしていると関連する記事のページへのリンクが尽きないのも、それらすべてが個人情報と興味関心とのマッチングに基づいたデータマイニングの成果である。われわれはただ暗黙のうちにこれらのサービスを便利なものとして日々享受している。確かに、個人情報を差し出さなければならないという交換条件はあるが、逆に、便利なサービスを受けるために自らすすんで個人情報を差し出す ―すなわち、自ら望んで監視対象になる― という逆転がいつの間にか起こっているといっていいだろう。

Amazon.comのようなサービスは、まだそのサービスがわれわれの目に見えるだけましな方だろう。携帯電話の電波は常に携帯電話キャリアのアンテナとつながっており、キャリアからわれわれの居場所は常に丸見えである。SuicaやPasmoを使って移動すれば(あるいはその前の磁気カード定期券だった頃でさえ)、鉄道会社にわれわれの行動が筒抜けになる。こういったことはその情報が間違いなくモニタリングされているにもかかわらず、サービスとしてリターンされないぶん、モニタリングされていると言うことが意識に上ることが少ない。ある意味では完全にアンビエントな手段だと言っていいだろう。このようなモニタリング社会がすべての点において好ましいものかどうかは疑わしいが、その点は常に精査を重ねるとして、社会動向としてこのような流れにあることは間違いない。そしてこの流れは今後ますます多様化し、われわれの生活を覆っていくだろう。


翻って、本論文は、このようにこれからの社会ビジョンの一つであるアンビエント・コンピューティング社会を視野に入れている。種々の手法によって、人間や空間、環境など様々な対象をモニタリングする社会である。われわれは監視され、管理されると言うことと交換条件に、便利で安全な生活を享受する。本論文中で取り上げている手法や場面といったものは、あくまでまだその片鱗でしかない。様々な技術が今後さらに発展してゆく中で、手法は洗練され、いくつかのものは実際に社会に実装されてゆくだろう。

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